「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り」(コロサイ1:3)とある。わたしたちはなかなか他者のために祈るところまで行かない。他人のために祈るというのは、キリスト教の特色である。家内安全、商売繁盛とは祈るが、あの人がこうであるようにと、とりなしの祈りがなされる宗教は少ない。祈っているというより、何かをしてあげたというほうが、自分でも人のためにしてあげたように思い、また人もしてもらったように思うという面が人間にはある。私たちのしていることにはこの種の限界があり、自然、不純なものが生まれる。しかし、私たちが人のためにできる最大のことは、祈りではないかと思う。でもそれは、あまり表面に出てくるものではないから、人にありがとうと言ってもらえるものでもない。そう言う点で一生懸命祈ることは、価(あたい)を求めないで愛していくということである。」 榎本保郎、新約聖書一日一章
榎本保郎牧師の「新約聖書一日一章」の中に上の事が書かれてありました。
’あー、そうだったなあ”と思い当たるのは、教会に行き始めた頃、初めて会った知らないクリスチャンの方々が、私のために祈って下さった事です。
今まで、そのような事をされた事がなかった私は、本当にびっくりし、なんと表現していいのか分からないような、心が暖かくなる経験した事を今でも忘れる事ができません。
”見返りを求めない愛”なんて、無理、無理!人は何かした事に対して、評価してもらいたいもので、それが人間の持つ本性なのだからしょうがないよね。といつも思う私にとって、他者のために一生懸命祈る事が、見返りを求めないで愛する事になると言われ、何か希望が湧いてきました。
先輩のクリスチャンが私にして下さったように、私も誰かのために一生懸命祈る事は出来る事のですもの・・。
そして、ただ「祈ってます」と言う言葉だけでなく、本当に祈ります。その祈りはだれに向かって祈っているかと言うと、私に「ばち」を与える恐ろしい神様ではなく、本気で私を愛して下さり、本気で私の祈りを聞いて下さる方だと言う事を聖書をとおして信じられるからです。
ヘルマン・ホイヴェルスの随想選書、「人生の秋に」をもとに彼の友人が作った詩、「最上のわざ」と言う詩の中にも、『神は最後に一番良い仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人の上に、神の恵を求めるために」とあります。祈る事の奥深さを聖書は教えてくれます。
今日もあきらめずに、心を込めて価なしに他者のために祈り、家族、友人そして私の場合は自分の事もしっかり神様に聞いていただきます。
神様、私の祈りを聞いて下さり、ありがとうございます。
マダム(a.k.a.マツオユリ)
祈り (Inori) – NCM2 CHOIR
祈り (Inori) – 作詞・曲:葉月 演奏:NCM2 CHOIR
イー・ジュンソク: リードヴォーカル
マツオユリ: アルト
ヨシオ・J・マキ: テナー
ミチコ・ヒル: ピアノ
コロハナ: キーボード・オーケストレーション
Sound Engineer: Jim Scheffler
Videographer: Taicho
℗ 2016 Maki Music Production, Inc. DBA NCM2 Song
© 葉月 – All Rights Reserved.
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