Messy(メッシー)な人々に対する福音

Messy(メッシー):

取り散らかした,乱雑な.
汚い,よごれた.〈人が〉だらしない,小汚い.
〈仕事など〉やっかいな,面倒な; 体をよごす(ような).

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今週の聖日礼拝はケイリブ牧師様(Pastor Caleb Kaltenbach)のメッセージでした。
ケイリブ先生については、NCM2隊長がすでに当ブログに書かれているので割愛するとして、ケイリブ先生は、礼拝メッセージで「イエス様が待っておられるのは、人生に躓いてしまった人々、上のMessy(メッシー)な人生を送っている人々」である事と語られました。
この教えはクリスチャンであれば分かりきった事なのです。でも、具体的に現実問題を突きつけられた時に、イエス様の教えを一番知っているクリスチャンや教会はその教えにどのように適応しているかと言うと、なかなか難しいのが現状です。
先生が自分の体験から語られた事は「どの教会も、クリスチャンもイエス様がされたように、教会にメッシーな人が来られたら、暖かく迎え「お帰りなさい」と声をかけ、ともに寄り添う事です」と、本当にシンプルでした。何故なら、自分もそのようにして迎えられたのですから。
幸福の黄色いハンカチ
私の大好きな山田洋次監督の名作映画に「幸福の黄色いハンカチ」があります。この作品のテーマも「お帰りなさい」でした。人生に躓いた主人公(高倉健さん)が望んでいた事は、愛妻の「お帰りなさい」と言う言葉でした。
自分が帰る家、自分を待っていてくれる人がいる事がどんなに大切な事かをこの作品「幸福の黄色いハンカチ」が若き日の私に教えてくれました。
人生における様々な問題は人が解決するのではなく、神様が定められた時に、必ず解決して下さると信じる事・・。
ケイリブ先生はそのとおりにしたら、LGBTコミュニティ(性的マイノリティー)に属しているという理由で長い間、クリスチャンから迫害を受けて来たご両親が救われるという、驚くべき事が起こったと証しされていました。
イエス様が遠くの方から駆け寄って「お帰り・・」と言われた自分が、今度は他の方にそのバトンを渡さなけば、誰がするのでしょうか? 何か光りが見えて来たような、日曜日の礼拝メッセージでした。
「そこで立って、父のところに出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。」 新約聖書 ルカによる福音書 15:21
マダム
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