ノースリッジ大地震から20年が経ちました

ノースリッジ大地震から20年が経ちました
1月17日は大地震を思い起こす日です。ここ南カリフォルニアでは20年前にノースリッジ大地震があり、そしてその翌年の同じ日(1月17日)に祖国日本の神戸で「阪神淡路大震災」がありました。
ノースリッジ地震の震源地のちょうど3マイルの所に引っ越してきて6ヶ月が経った頃、いきなり朝4時31分に発生したこの大地震の事は忘れる事ができません。
この日はマーティンルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日を記念した休日で、震災の前日に日本から遊びに来ていた母を連れて、ノースリッジにあるモールにショッピングに行く事になっていました。
明方、大きなブルトーザーで家を壊すような音といきなりのすごい揺れ。うちの犬から飛び起きて、どこか安全な場所に行こうと思っても、立ち上がる事ができない揺れ、それも今までの地震と違い長いのです。
子どもの頃の防災教育が体に染み付いていたようで、揺れが治まるとすぐに母に声をかけて安全を確かめ、玄関のドアをあけました。行動が早すぎたようで外に出ても、ご近所はシーンと静まりかえっています。
しばらくしたら、人や犬が一斉に飛び出して来て、『大丈夫かぁ〜!?』『ガス臭いぞ。ガスの栓をしめろ!』等などと人々が騒ぎ始めました。
いきなり停電になり、テレビは転がり落ちていたので、ラジオで地震情報を聴くしかありません。でも、この情報もしばらく待たないと入ってきませんでした。(今ならTwitterですぐ分かるのでしょうね)
あの頃(20年前)携帯電話を持っていたのが、うち近所ではNCM2隊長だけ。家の電話がしばらくするとつながらなくなり、どれほどあの携帯電話が重宝したかわかりません。
1月の朝はなかなか明けません。7時近くに明るくなり、ラジオで色々な情報が入ってきてから、フリーウェイが落ちた・・、ノースリッジのモールの駐車場が崩れた・・、近所のアパートが崩壊した・・、近所の町では火災が起こっている・・等など、恐ろしい情報がどんどん入ってきました。
でも、私の家もご近所もあまり大きな被害がなく、停電、断水等の不便はあっても、庭のバーベキューグリルを使ってご飯を炊いたり、冷凍庫にある物を焼いたりして凌げました。水、パン、ミルク、懐中電灯、電池が一番早く店から無くなりました。
この時のアメリカ合衆国政府の迅速な行動と、被災した一般市民に対するケアが素晴らしかった事を、今でもはっきり覚えています。
近くの公園には即ベースキャンプのようなテントが沢山設営され、そこには移動式のトイレも設置されていました。
停電の町の角ブロックごとに自動小銃を持った軍の兵士が見張りをして、略奪や火事場泥棒などの警備にあったっていました。
フリーウェイや幹線道路の至る所が閉鎖され、停電の道路を走る事ほど怖い事はありません。
その信号機も作動していなかった暗い怖い道を何時間もかけて、炊き出しの食事を持って駆けつけて下さった鈴木栄一牧師(ハワイ在住)、ロス在住の詩人、新井雅之兄姉。
ガスが復旧するまで、シャワーを使えない私たちに食事とシャワーを提供してくれた、NCM2のアソーシエートアーティスト、イキー(Iki Levy)さん家族。
あれから20年が経ちましたが、今でも皆様の暖かいお気持が忘れられません。本当にありがとうございました。
いつ起こるか分からない、震災や天災・・ あの大地震の教訓を忘れないようにし、この災害を聖書が言っているイエス様の再臨のモデルとして、恵みの時にこそ、しっかり備えをしないといけないと思わされました。
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守るものたちとは、さいわいである。時が近づいているからである。ヨハネの黙示録1:3」
マダム
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