メアリー・E・キダーさんの事

私の母校(フェリス女学院大学)が創立140周年記念と言う事を、先日日本から届いた同窓会会報で知り、創立の時ってどんなんだったのかしら?となんとなく、フェリス女学院創立の歴史を調べてみました。
ミッションスクールだという事以外、母校の背景は全然知らず、知ろうともしていませんでした。ところが調べてみると、その始まりにびっくり! 感動してしまいました。
勉強もせず遊んでばかりいた最低の学生でしたから、恥ずかしくて、フェリスの卒業生である事を、あまり人には口外しないようにしていたのですが、 この創立者のメアリー・E・キダー女史 (Mary E. Kidder)の事を思うと黙っているわけにはいかなくなりました。
ウィキペデアで調べてみると、
『1870年(明治3年)アメリカ改革派教会の宣教師メアリー・E・キダー(Mary E. Kidder)が、ヘボン施療所で、女子を対象に英語の授業を開始した。これが女子校として最も古い歴史を持つフェリス女学院の発祥とされる(のちに男子部は明治学院となる)。1875年(明治8年)、アメリカ改革派教会外国伝道局総主事であったフェリス父子の支援によって、横浜・山手178番に校舎・寄宿舎が落成、「フェリス・セミナリー」と名づけられ、フェリス女学院中学校・高等学校の基となった。』
と書かれていました。
何故学校の名前が「キダー女学院」でなく「フェリス女学院」なのかと言うと、フェリス父子の支援があったからこそ校舎と寄宿舎が落成したという事から、メアリーさんはこの方々の名前を校名にしたようですね。「自分の名前を残したい!」とも思ってもおかしくないのに、支援者の名前を残したメアリーさんは、どんな人だったのだろう?謙遜な人だなあ!とえらく感動してしまいました。
坂本龍馬や中岡慎太郎が暗殺された年からわずか3年後に、このメアリーさんは、はるばるアメリカから蒸気船に乗って、開国したばかりの貧しくて不便な日本にやって来たのですね。あの有名なヘボン式ローマ字を考案したヘボンさんと同一人物なのか、わかりませんが、ヘボン療養所という所で、まずは英語を教えながら宣教したのです。
アメリカで何不自由する事なく快適な生活ができるのに、キリスト教に優しくない中央アジアの不便な国で、英語を教えながら宣教の働きをしている私の友人と、当時36歳だったこのメアリーさんが、私には重なって見えます。
日本人、特に女性の教育に命を捧げてくれたメアリーさん、140年後、あなたの熱い宣教への思いに感動しているあなたの学校の卒業生は、今クリスチャンになって毎日喜びの信仰生活を送っています。
ありがとう、メアリーさん。
松尾由利 (a.k.a. マダム)

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