敬愛するマック先生のブログ”世俗牧師宣言!” に「清めの塩」という記事がありました。それを読んで、昨年の日本での母の葬儀の時の事を思い出しました。近頃、日本ではお葬式についていろいろ変化がある事を新聞やニュースなどで知っていますが、未だに地方では葬儀は伝統を大切にする儀式でした。
キリスト教徒が1%以下と言う日本の国で、仏教式などキリスト教以外の葬儀にキリスト教徒が参加することがほとんどですが、その逆に、私の母の葬儀のように、キリスト教式葬儀に招かれた全員がノンクリスチャンである場合の配慮はとても大切な事のようです。
マック先生のブログに書かれていた日本の教会の牧師先生は、教会の葬儀に「御清めの塩」を置いてあると書かれていました。ブログの文面からすると、その「御清めの塩」の事が非常に論議をかもすかもしれないけれど、理解をしてほしいとクリスチャン達に切々と訴えているような発言、と私は感じました。
正直私がとても驚きを感じたのは、牧師が「お清めの塩」に賛成する事がそれほどの問題になる得るという事です。日本のクリスチャンは仏教式、または違う宗教の葬儀に参加する時は、かなりのストレスがあるのだろうな!と慮ると心が痛くなりました。
クリスチャンがよくこんな質問をします。
『先生!お焼香をあげてはいけないのでしょうか?』
『兄弟!お骨を拾ってはいけないのでしょうか?』
『姉妹!お線香をあげるのは、控えた方がいいのでしょうか?』
『これらは、異教徒のしている偶像礼拝になるのでしょうか?』
ノンクリスチャンならびっくりするかも知れませんが、私たちクリスチャンにとってこれらはあたかも踏み絵でも踏むくらいに真剣な問題です。
律法主義の敬虔な宗教家たちがその熱心さの故に、一番大切な事を忘れ去り、民に形式をを押し付けてていた聖書の時代のように、一般社会の荒波にもまれて必死に信仰を持って頑張り、弱い信仰ながらも家族や知人に伝道している信者の方々のストレスを増やさないようにと、この世の全てのキリスト教聖職者の皆様にお願いしたいものです。
ちなみに、母の葬儀は故郷の土地の風習、慣習にそって行われ、NCM2隊長の恩師、大川従道牧師の座右の銘、「本質以外は寛容であれ」的なお葬式でしたが、小田原城山キリスト教会の関根弘興牧師とアメリカから駆けつけてくださった鈴木ケン牧師の司式により、イエス・キリストの良き訪れ(福音)が参加者全員に語られ、しっかりとみ言葉の種が蒔かれていました。そして今年9月の召天記念の会でも参加者(ノンクリ)の皆様が『よく分かる、心のこもったよい葬儀だった。私もあのような葬式をしてもらいたい』と語られていました。
この現代にイエス様がおられて、私の日本の親族の仏教式葬儀に一緒に参加されたとしたら、どのような振る舞いをされたでしょうね? イエス様なら、異なる宗教、習慣の真ん中に生きている私達信徒の疑問にどのように答えて下さるのでしょうか。
マック先生を心から尊敬し、応援するマダムでした。
マダム
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